登ることを辞めること、そして再び登ること















お久しぶりですNo Matter No Matです。

何から書くのが良いのか分かりませんが、約10ヶ月ぶりにクライミングに復帰しました。

新型コロナウィルスの拡大感染の煽りを受け、7〜8年続けてきたクライミングから

しばらく離れてしまいました。


あんなに好きだったクライミングが、岩登りが、どこか自分の心の中から離れていき、

いつの間にか登らない日常に慣れ、毎日ビールを飲み、風呂上がりに鏡を見ると、

クライミングを始める前のガリガリの身体がそこにあり、

もう自分はクライマーでは無くなってしまった...


もう今後登ることも無いだろう...と、手持ちのクライミングウェアを譲り、シューズを捨て、

それでもミウラとクラッシュパッドとトレーニングボードは捨てきれずに倉庫の隅にしまい、

車に貼ったクライミングブランドのステッカーは何故か剥がすことが出来なかった....


登らない日々が普通の日々になり、なぜあんなにもクライミングに執着していたのか?

なぜあんなにも岩に惹かれていた(導かれていた)のか分からなくなり、

登ることに何も意味や魅力を感じなくなってしまっていました。

まさか自分にそんな日が来るとは思っても居ませんでした...


その大きな引き金となったのは、

新型コロナウィルスの拡大感染だったのは言うまでもありません。

初めの頃はジムに行って人と登ることが億劫になり、

家トレと岩トレで頑張っていましたが、

各地の岩場からの自粛要請で少しづつ、張り詰めていた感情が千切れて

行ってしまったのです....

そして、コロナ渦での新しい命の誕生(第二子)。


コロナ渦で産前・産後にジムに行くなどもっての外、

家族からの要請もあり、ジムは完璧に自粛。

(第一子の時は、出産立会い後そのままジムに行った.笑)

そして心身共にどんどんと弱くなっていくクライマーとしての自分...

ナイトでジルコンをトライするクライマーの背中を見ながら、

なぜかもうそこに居ては行けないような気がしてしまいました。


完璧に登らなくなって半年ほど経ったころ、ある夢を見ました。

「半年ぶりにようやく思い立ってジムに向かう自分。

 夜遅くのジムに着くと、年中無休のはずのジムが定休日で閉まっている。

 車の中で、もう戻れない、ほとんど泣くように呟いた」


それから数ヶ月後、東京オリンピックが始まり、

やっぱりクライマー日本勢の活躍を見たいなと思い、テレビをつけた。

ヤコブの気迫溢れる登り、有終の美を飾る野口さん...圧巻のヤンヤ。

手に汗握る登りに、自分はやっぱりまだクライミングがしたいんだ...

そう思い、10ヶ月ぶりにジムの扉をくぐった。


それはもうひどい登りで、ガバですらほとんど保持していられない。

4級を震えながら登り、すべての3級に敗退した。

それでも数回登りに行くと、驚くほどの速さで成長し、

復帰後約1ヶ月で1級を登れるところまで回復した。


本当にギリギリの状態でようやくクライミングに復帰出来た、

オリンピックが無かったら、もう登ることは無かっただろう...

今パキッたら、絶対にもう戻って来れない...


僕がパキッたのは指ではなく、心なのだ。


復帰して2ヶ月、秋になり外岩に誘ってもらうようになった。

白川ボルダーや、瑞牆、小川山で徐々に外岩の登りを思い出してきた。

優し目の初段・2段を数本登り、身体も前のように戻ってきた。

今は色々な人と一緒に登れるのが素直に楽しい。しばらく忘れていた感覚だ。

グレードやプロジェクトを執拗に追い求めていた時期は、

あまりにストイックで、周りが見えなくなっていたような気がする。

一度クライミングから離れ、登れない日々を過ごし、

前より弱くなった気もするが、どこか前より強くなったような気もする...

今なら、4年越しのプロジェクトも登れるような気がしている。


Have a good climbing life for you!









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