Fire Walk with Me


コロナ禍でクライミングから離れて10か月。復帰後しばらくは、比較的登り易い課題やエリアをまわっていた。ずっと一撃しようと手を付けていなかった瑞牆の百鬼夜行を見に行って、モチベーションの回復を計ったり... 


それでも、一度冷めてしまった岩登りへの純粋な気持ちは昔のように燃え上がる事なく燻ってばかり...ジムや岩場で既存課題を登っても、確かに楽しいものの、どこかで集中しきれていない...とにかく目標を見失ってしまっていた。


昔の自分なら登れたはず...という逃げの意識があったり、遊んでばかりで無く本業や子育てに腰を入れなくては...と思ったり。岩登りが、単なる趣味になりつつある。そしてそれを自制する自分。まさに迷いと躊躇いの日々。


ジムでは比較的力が戻ってきたが、やはり決め切れない事が多く、指と身体の弱さを実感していた。とにかくホームの豊田で指トレをしようと、過去に登った課題を触って、自分の立ち位置を探ってみる。8年間かけて作り上げた指と身体を、たった10ヶ月で簡単に失えることと、取り返しのつかない時間を過ごしてしまったことへの後悔。


原点に戻ろうと、数年ぶりに立ち寄ったとあるエリアで奇跡的な岩との出会いがあった。薄かぶりの綺麗なフェースに伸びる僅かなクラックとその先にあるスラブ。まさかこのエリアに、まだ手付かずの、そしてこんなにも素晴らしい岩が隠れていたとは!左右に伸びる明らかなラインが2つ程見えるが、どちらも登られていない。何故こんなにも格好良い岩が何十年も放置されて来たのか?そして何故、今日、私はこの岩に出会ったのか?それはもう運命的な出会いだった。こころの中で燻っていた火がパチパチと激しく燃え上がる音が聞こえた。


そうだ、僕のしたいクライミングは既存課題を登る事でも、高難度を登ることでも無い。名もなき岩を、未踏のラインを登りたいんだ。


こんな当たり前の事を忘れていた。最も純粋な岩登りの本質を、楽しみ方を忘れていた。クライミングに復帰した時も、それは単にオリンピックの影響だけでは無かった。3年かけていた未踏のプロジェクトの岩、その岩の事がどうしても頭の片隅から離れなかったからだ。


この岩を登ろう。そう心の中で誓うと、炎は更に激しく燃え上がった。

Fire Walk with Me.

ふと映画のタイトルが頭をよぎった。


実際に取り付いてみると若干脆い岩で、結晶がボロボロと欠ける。明らかなスタートホールド周辺も欠けがあり、どういう訳か本当に忘れ去られていた可能性のある岩だ。かつて、古美山の小便小僧やアガルタの岩もフリーでの登攀は無理だと認識され放置されていた(人工ホールドが付けられていた痕跡がある)と聞いた事がある。フェースの被り方といい、ホールドの感じといい、どことなく同じ印象を受けた。


クラックに明らかスタートがあり、そこから右上と左上するラインがある。まずは左上ラインに取り掛かる。100度くらいの前傾壁に細いクラックが走っている。中間部にブランクセクションがあるように見えるが、棚足がある為、マイクロカチを繋げばどうにかなるかも知れない。抜けのスラブ面には保持出来そうなホールドもある。中間部の2手?がどうにかなれば登攀可能なラインに見える。


初日はスタートのポジショニングと足位置を探って終了。2日目は第一核心であるデッドの精度を上げる中継ホールドを見つけ、横カチを0.1秒?止めて終了。横カチはオメガングの初手くらい悪いように見えるが、下から丁度届かないので保持出来るものなのかが分からない。このライン、本当に可能性あるのか?と思いながら帰路に着いた。


これがプロジェクト Fire Walk with Meとの出会いだ。それはまさに、岩に呼び寄せられたような運命的な出会いだった。この岩を登ろう、この岩のためにトレーニングをしよう。身体を岩の尺度に当てはめていこう。久しぶりに武者震いした。



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